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『エール』 VS 本当の話―12 福島言葉と豊橋言葉

『エール』 VS 本当の話―12 福島言葉と豊橋言葉

 

福島言葉と豊橋言葉

 

写真は昭和6年頃。代田の新居の前でお隣さんと。

 

1931最初の家614番地の隣家の馬場さん一家と.JPG

 

 

『エール』で裕一は福島言葉、いわゆるズーズー弁を話していますが、もう東京に出て来て2年以上、いつまで福島言葉でいるのでしょうか?

父は私の記憶にある限り標準語を話していました。

母は、父のズーズー弁を直すのに苦労したようなことを言っていました。

「私が直したのよ」と。

豊橋は方言、豊橋言葉はありますが、イントネーションは関東と同じだそうですので、母は言葉で苦労はしなかったようですが、父は相当苦労して直したようです。。

豊橋言葉(三河言葉)を調べると、「いっしょくた」、「電信棒」(電信柱)、「鍵をかう」(鍵を閉める)などが出てきました。これらは母はよく使っていて、これらが三河言葉とは知りませんでした。

よく母は自分の出身地のことを豊橋ではなく三河と言っていました。

わりと最近、豊橋に度々行くようになって、母が三河にこだわっていた理由が分かりました。

私は迂闊にも知りませんでしたが、名古屋(尾張)と豊橋(三河)は昔から対抗意識があるのです。

尾張は関西、三河は関東なのです。

尾張は豊臣秀吉の地元、三河は徳川家康の地元。

名古屋の鰻は関西風の腹開き、三河の鰻は関東風の背開き。

豊橋の老舗鰻屋「丸よ」(べっぴんと言う言葉の発祥の店とのこと)に行って初めて知りました。

つまり戦国時代からの強烈なライバル意識が、今はともかく、母の時代にはまだ残っていたようです。

(九)

 

2020/06/01   KITASAN