「事実は小説より奇なり」と言いますが、事実に基づいたフィクションの場合、「フィクションは事実より感動的なり」と言うのが「エール」を見終えた後の感想です。
古関裕而と古山裕一の性格はまるで違いますが、楽曲の創作過程での苦悩や葛藤を分かりやすく描くには裕一のような性格付けが効果的でしょう。
古関金子と古山音も、実際の金子は音よりももっと情熱的で激しい性格ですが、音の方が裕一を励まし支える妻として、より視聴者の共感を呼んだでしょう。
そしてひとつひとつの歌の誕生にまつわる話も、事実より遥かに感動的に描かれていて、その歌が歌われたときに、より大きな感動を与えました。
例えば「栄冠は君に輝く」を久志が甲子園のマウンドでアカペラで歌うシーン。
モデルの伊藤久男が、戦後しばらく歌を歌えなくなり、酒におぼれる日々を過ごしたのは事実のようですが、そのエピソードを見事に脚色して、「栄冠は君に輝く」で復活するという作劇は見事で、「栄冠は君に輝く」という歌に深い意味を持たせた、久志(山崎育三郎)の見事な歌唱は「エール」の中でもベストワンの感動的な名場面として長く記憶されるシーンだと思います。
また「長崎の鐘」の誕生エピソード。父は永井博士とは会えずに、博士の死後、お子様たちと会っていますが、「エール」では曲想に悩む裕一が、永井博士の深い意味の言葉からきっかけを掴むシーンも感動的でした。
また朝ドラ史上初めて、と言われる戦場のリアルな描写。空襲、原爆そして敗戦。傷つき、肉親や親しい人を無くした様々の人々、浮浪児など、終戦直後の世の中の描き方は、戦後75年を経て、多くの国民が戦争を知らない時代となった今だからこその、意味ある演出だと思いました。
最終話に出てくる小山田耕三からの手紙も感動的でした。
父は山田耕筰を師として敬い、山田耕筰の弟子の会にもしばしば出席していました。
山田耕筰が父をコロムビアに推薦した裏に、ドラマで描かれたような事情があったかどうかは不明です。そのような推察をしている研究者の方はいらっしゃいますが、事実かどうかは、今となっては分かりません。
ただ裕一(古関裕而)を小山田耕三(山田耕筰)の系譜を継ぐ存在として位置づけたシナリオには、心より感謝いたしております。
私には、小説を書いたりライブの構成や台本を書いたりしたわずかな拙い経験しかありませんが、物語を紡ぐことの難しさを知る者として、エールの作劇・脚本・演出のうまさは流石だと思いました。
最後の、音の弱々しい足取りが砂浜を駆ける軽やかな足に変って行く演出は、名だたる名画にも劣らない、歴史に残る素晴らしい印象的なエンディングで、正に脱帽です。
本来、今年前期の朝の連続テレビ小説は、今年開催予定だったオリンピックと震災からの復興という意味も込めて、人々にエールを送る歌を作り続けた古関裕而と妻金子をモデルとしたドラマの筈でしたが、誰もが想像もしていなかった新型コロナウィルスにより、撮影の中断や志村けんさんの逝去など、様々な障害や困難が制作陣に降りかかりました。しかしそれらを乗り越えて、毎朝お茶の間に音楽を届け、期せずして未曽有の疫病禍に苦しむすべての人々にエールを送るドラマを作り上げたスタッフ・キャストの方々に心より感謝し拍手します。ありがとうございました。
COVID-19に苦しんだ時代に「エール」というドラマが人々に希望と感動をもたらしたと、後世に伝えられるような、長く記憶に残る、特筆すべき作品となったと思います。
そしてこのような素晴らしいドラマが実現したのは、”古関裕而夫妻の物語を朝ドラに!”と熱心に活動して下さった裕而の故郷福島市と金子の故郷豊橋市の皆さんのおかげです。ありがとうございました。
最後に、実際には三人の子供をもうけた父母ですが、「エール」では女の子ひとりだけ。
「何故お前が登場しないのだ?」と何人もの方から訊かれましたが、私としては登場しなくてほっとしております。登場すれば、どのように描かれたとしても、それを事実として受け取る人が必ずいますので、登場するとしたらどんな風に描かれるのかが私の一番の心配事でした。
実際、私の姉がロカビリー歌手と結婚したと信じた方が多くいらっしゃるようです。
私の二人の姉の、長姉は大学病院の勤務医と、次姉は普通の会社員と、ふたりともお見合いで結婚しております。
私を登場させなかった脚本陣の方々に心より感謝致します。
窪田正孝さん、二階堂ふみさん、山崎育三郎さん、中村蒼さん、森山直太朗さん、佐久本宝さん、松井玲奈さん、森七菜さん、菊池桃子さん、薬師丸ひろ子さん、唐沢寿明さんほか登場されたすべての俳優の皆様、ありがとうございました。
皆様のファンになりました。今後の益々のご活躍を期待しております。
古関裕而長男、九代目三郎次こと古関正裕