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相馬野馬追祭2

2014-07-26野馬追衣装合わせ1.jpgこれが今回相馬野馬追祭をボランティアで手伝うメンバーです。

タイ人9名、日本人12名の計21名。実際に体力を使うボランティアをするのは内18名で残りの3名は、私を含む、写真最後列のおじさん3名で、サポート・運転・皆さんのお世話係ですが、つまりは楽をしているおじさん達です。

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相馬野馬追祭とは相馬市の中村神社、南相馬市原町の大田神社、南相馬市小高の小高神社の3つの神社の合同のお祭り(神事)で、3つの神社の氏子達が馬に乗って行列をし、野馬追祭場にて神旗争奪戦と呼ばれる戦国絵巻のような戦いをしたり、甲冑競馬という競馬をしたりして、それぞれ競い合うお祭りです。

ところが震災、原発事故により、小高は原発から20キロ圏内であるため、小高の町には人は住めなくなってしまいました。おととしの春からは立ち入りは出来るようになりましたが、未だに住むことはできません。

そのため2011年のお祭りには小高神社は参加出来ませんでした。

そして今でも住民はいないので、我々がお手伝いを申し出たときに、小高神社から行列に並んでほしい、という依頼がありました。

野馬追祭というのは相馬の人たちにとっては、とても大事なお祭りで、祭に参加される方々は、年一度のこのお祭りのために馬を飼い、先祖伝来の甲冑を来て、祭に参加します。そういう方々は、たとえ避難生活をしていても、馬を連れて祭に来ます。

お祭りは通常は、土曜日に出陣式があり、それぞれの神社から馬に乗った武士のほか、旗や槍などを持った人達が行列を組んで、それぞれの地元を行列して歩いたのち、原町に集まります。そして翌日曜日に原町市内から原町の外れにある相馬野馬追祭場まで3つの神社が行列を組んで歩き、祭場についてからは、甲冑競馬、そして神旗争奪戦が行われます。

ところが小高の町には人がいないので、土曜日の地元での行列は出来ません。そして馬を持っている人たちは集まっても旗や槍などを持って歩く人たちがいなかったのです。そこで2012年から我々がボランティアを集めて旗や槍などを持って行列に並ぶことになりました。

これは野馬追の歴史の中でも特筆すべき出来事となりました。というのは千年を超える歴史を持つこのお祭りで、行列に並ぶのは男性と決まっていたからです。女性や外国人が行列に参加するなんて、とんでもない、という意見もあったようです。

でも小高神社の神主さんは、それでも神社としてはとにかく行列を組んで祭に参加するのが大事、というお考えで、我々が行列に並ぶことになりました。

2012年はタイからは18名の方々が参加されました。若い学生だけでなく、40年を超えるOCAの活動で友となった、今はタイの各界で活躍されている重鎮の方々もいました。

日本からはOCAの仲間の他、コモンビートという、各地で100人の人を集めて100日間でミュージカルを作り公演する、という活動をしているNPOのメンバーの方々に大勢参加して頂き、総勢65名で野馬追祭を支援しました。 

野馬追の時期は大体梅雨明け後で、暑い最中に衣装を着て、物を持って歩くの大変で、暑さに慣れているはずのタイの人も音を上げるほどです。

もう翌年はやめよう、と思いましたが、小高神社の神主さんに、本当に喜ばれて、また来年も宜しくお願いします、と頼まれると、嫌とは言えません。

昨年は36名で参加し、今年は21名と人数は減っていますが、それでも、また参加したいと、続けて参加してくれている人たちもいます。

国の重要無形文化財に指定されている野馬追祭に参加できるなんて、滅多に出来ないことで、汗を流して大変なだけに、達成感も大きいようです。

 

今日は土曜日で、小高神社は行列がないため、お昼から南相馬の原町の体育館で、リハーサルでした。参加者が集まって、衣装の確認、旗や槍などの持ち物の確認、並ぶ順番などの確認です。

写真は衣装を身に着け、持ち物を持って並ぶ順番の確認をしている光景です。(九)

 

 

 

2014/07/26   KITASAN