BLOG

産経新聞9月1日

先日、産経新聞の取材を受けました。

古関裕而と1964年の東京オリンピックについてです。

その記事が9月1日と8日の2回にわたって掲載されました。

写真はその9月1日の記事です。

産経2015-9-1_20150911_0001.jpg

以下はこの記事の抜粋です。

 

オリンピズム 64年東京のいまを歩く-20
「オリンピック賛歌は東京発」

(前略)
『(オリンピック)賛歌』は1896年第一回アテネ大会のため、ギリシャのコステス・パラマが詩作、スピロ・サマロが作曲した。譜面はしかし、大会後に消失していた。
 ところが、1958年のIOC東京総会を前に、突然、ギリシャのIOC委員から「見つかった」とのコメントとともに日本のIOC委員東龍太郎に譜面が届いた。招致に心を砕く東への激励だったか。
 サマロ自らが編曲した譜面はピアノ演奏を想定していた。東はオーケストラでの演奏を考え、NHKにアレンジを依頼する。
 白羽の矢が立ったのが古関裕而だ。長男の正裕が謙遜交じりに話す。「NHKとの縁が深かったことから依頼されたんでしょう」
 古関は確かにNHKの連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』や『君の名は』の主題歌を作曲、NHK文化賞を受賞していた。だが、それ以上に歌謡曲からマーチ、軍事歌謡に校歌、応援歌、オペラなど多彩な才能で日本音楽界の頂点にあった。
 古関は荘厳さに華麗さを併せ持ったオーケストラ仕様に仕立て直す。総会開会式、NHK交響楽団によって演奏された『賛歌』はIOC委員たちを魅了した。
 この曲は東京招致実現に大きく貢献するとともに、「IOC公式賛歌」として後世に伝えられる。そして、古関は、すぐに次の大役を任されるのだった…。
(特別記者 佐野慎輔)

2015/09/11   KITASAN