『エール』 VS 本当の話ー1 古関家と内山家
3月30日から始まったNHKの朝ドラこと連続テレビ小説「エール」。
視聴率も良く、なかなか好調な滑り出しのようです。
その「エール」のモデルは、喜多三のライブに足を運んで下さった方なら皆さんご存知、私の父である作曲家古関裕而とその妻金子(旧姓内山)です。
そしてドラマが始まった今、色々な方々から、あれは本当なの?と、ドラマの内容について訊かれることが多いこの頃です。
そこで、今日から「『エール』 VS本当の話」と題して私九代目が、フィクションであるドラマと実際の違いなど、皆様が気になるような点を書いてゆきたいと思います。
まず第一回目の今日は、ドラマの背景となっている古山家と関内家について、本当の古関家と内山家を紹介します。
(写真は順に、裕而の父、七代目三郎次、母ひさ、金子の母内山みつ)
まず主人公二人の苗字、古山と関内は、実際の二人の苗字、古関と内山のそれぞれの一文字を入れ換えたものであることはお分かりでしょう。古関内山と並べて書いて、左端と右端の字を抜き出せば、古山、内側の2文字は関内です。
さて古山家は福島市で呉服屋「喜多一」(きたいち)を営み、裕一の父、三郎は四代目という設定ですが、古関家は福島市で代々続く呉服屋「喜多三」(きたさん)を営み、裕而の父、七代目三郎次は八代目の当主でした。八代目の当主で七代目三郎次というのは、途中に三郎次を襲名しなかった女性の当主がいたためです。
裕一の母、まさの実家は川俣の福島有数の資産家、権藤家でまさの兄は茂兵衛となっていますが、裕而の母、ひさの実家は川俣の武藤家。武藤家は川俣の大地主で、県内有数の資産家と言われ、町のまわりの山々は全て武藤家の所有で、川俣の駅(今は鉄道は無くなり、駅もありませんが)から家まで、他人の土地は歩かなかったそうです。兄の武藤茂平は醸造業や川俣銀行などを経営していました。
ドラマでは権藤家には跡取りがいなくて、古山家から養子をもらうという設定になっていますが、実際の武藤茂平には四男四女がおりました。しかし男の上の三人は早くに亡くなり、四男は第二次大戦でガダルカナルで戦死しています。
古山裕一には弟の浩二がいますが、古関裕而にも弟弘之(ひろし)がいます。
浩二は喜多一を継いで、盛り立てようとしていますが、実際の喜多三は昭和初期に倒産しています。弘之はデザインの勉強をして、デザイナーになりました。
古関裕而が川俣銀行に勤めたのは、継ぐべき家業もなく、商業学校を卒業してからは家で作曲三昧の生活していた(はたから見れば働きもしないでぶらぶらしている)ので、ぶらぶらしているならウチで働け、と伯父(武藤茂平)に言われて、どうせ暇な銀行だしと、川俣の伯父の家に居候しながら、銀行勤めをしました。
一方関内音の実家は豊橋で馬具商を営んでいますが、金子の実家の内山家も馬の物資を軍に納入していました。飼料や蹄鉄等を納めていたと聞いていますが、ドラマのように鞍などの馬具を作っていたかは分かりません。
音は三人姉妹の真ん中ですが、金子は父内山勝英と母みつの三女として生まれました。兄妹は長兄と姉二人、妹三人の7人兄妹でした。
ドラマ通り金子の父親は、金子が12歳の頃亡くなっていますが、死因は病気(脳卒中?)です。
子供の頃学芸会でかぐや姫を演じたのは本当で、かぐや姫という綽名が付いたそうです。
音のように、「女子供」という言葉が大っ嫌い、だったかどうかは知りませんが、活発でお転婆で。いつも夢をみているような少女だったそうです。
長くなりましたが、まずは主人公二人のバックグラウンドについて、紹介させて頂きました。
(九代目三郎次こと古関正裕)