『エール』 VS 本当の話ー2 野村俊夫と伊藤久男
朝ドラ「エール」の放送に因んで、「『エール』 VS本当の話」と題して私九代目が、フィクションであるドラマと実際の違いなど、皆様が気になるような点を書いてゆきたいと思います。
第2回目は、取り敢えず本日(5月13日)放送の第33回から、古関裕而の交友関係についてです。(文中、敬称略)
(写真は野村俊夫と伊藤久男)
野村俊夫 伊藤久男
今日の放送で裕一と幼馴染の佐藤久志が再会しました。あと詩人を目指していた魚屋の息子の村野鉄男と合わせて同級生三人は、後に福島三羽カラスと呼ばれようになる、とのことですが、本当のところは・・・。
村野鉄男のモデルは詩人の野村俊夫。実際に古関裕而とは幼馴染ですが、同級生ではありません。喜多三の斜め前の魚屋さんの息子で、裕而より5歳年上の明治37年生まれ。本名を鈴木喜八といい、近所のガキ大将で、裕而はいつも喜八少年のあとにくっついて遊んでいたそうです。
詩人となった野村俊夫は、古関裕而とのコンビでは、戦中に「暁に祈る」という大ヒットを飛ばしています。
この歌を歌ったのが佐藤久志のモデル、伊藤久男で、「暁に祈る」は福島三羽カラスの初の大ヒットとなりました。
伊藤久男は明治43年、福島県本宮町(現本宮市)の旧家に生まれ、裕而より1歳年下。歌手を志望しますが家族からは反対され、カモフラージュに東京農大を受験し入学。しかし上京すると帝国音楽学校に入学し、金子と知り合い、同じ福島出身で家も近かいということで、裕而ともすぐに仲良くなり、親しい交際がはじまります。
帝国音楽学校については、また改めて書きますが、金子は上野の東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に行きたかったらしいですが、当時芸大は既婚者は入学できなかったそうで、出来たばかりの帝国音楽学校に入学しました。
野村俊夫は他には「湯の町エレジー」「東京だよおっ母さん」などのヒット作があります。
その生涯については、「古関裕而物語」(歴史春秋社刊)の著者の齋藤秀隆先生が「東京だよおっ母さん」というタイトルで、やはり歴史春秋社より出版されています。
伊藤久男は昭和8年にコロムビアの専属歌手となり、裕而とのコンビでは前述の「暁に祈る」、「イヨマンテの夜」など、他には「あざみの歌」「山のけむり」などのヒット曲があります。
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