『エール』 VS 本当の話ー3 古関裕而の性格
第3回目は、古関裕而の性格についてです。
(写真はNHKのスタジオにてハモンド・オルガンを弾く裕而。本番中?)
初回の「エール」を見て、僕は目を疑い、耳を疑いました。。
まさか冒頭から、こんなビックリな、フィクションとは言え、よくもこんな全くあり得ない話を作るものだと、唖然とし先行きどうなるのかと、一時は暗澹たる気持ちになりました。
冒頭の、昭和39年10月10日、国立競技場での東京オリンピック開会式当日、自分の作曲したオリンピック・マーチの演奏が始まる前の裕一の緊張ぶりです。なんとトイレに籠って吐いてしまう! 全く??? 不可解な話です。
自分の渾身を込めた自信作の演奏を前に、心地よい緊張感はあるかも知れませんが、不安に怯えるような、苛まれるような心境など有るわけがないです。
プロの一流の作曲家として、あり得ない設定です。
実際には開会式当日、招待されていたのは父一人で、父は貴賓席の下の招待席で、愛用の8ミリカメラで開会式の様子を撮影するのに夢中でした。
父はよく、謙譲という鎧で全身を固めたような人とか、穏やかでいつもにこにこしていて優しい人、などと言われます。そして軽い吃音の気もあるので、話下手で、物静かで、そして控えめでありました。
しかし気弱ではないし臆病でもなく、むしろ真逆と言っていいでしょう。
社交的ではありませんが、と言って内向的ではありません。普通です。
東北人らしい粘り強さ、我慢強さと強い意志を持ち、吃音気味であっても、請われれば喜んで講演でも座談会でもテレビ出演でもこなしていました。
物おじせず、プレッシャーには強く、とくに一発本番のようなときに一番本領を発揮する、そんなタイプでした。芸術家(そして実は父は理科系の頭脳の持ち主ですが)らしい、柔軟でしなやかな強い精神力の持ち主でした。そして自己を厳しく律することが出来る人でした。
自宅で一人で仕事をしていると、ちょっと息抜きしたくなって、そのままさぼってしまう、などということは、僕などしょっちゅうですが、父は、仕事中ちょっと息抜きにテレビなどを見に2階の書斎から下りて来ても、見終えればさっと書斎に戻っていました。そのオンオフの切り替えは見事でした。
ですから「エール」での主人公裕一の気弱そうな感じの描き方は気になりますが、でもそこは音の強さと裕一の弱さを対照的に描こうという意図的な演出なのでしょう。
今後の展開を見ないと分かりませんが、「エール」と実際との一番の違いは、そこではないかと思います。