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『エール』 VS 本当の話―9 古賀政男と藤山一郎

『エール』 VS 本当の話―9 古賀政男と藤山一郎

 

『エール』では木枯正夫と山藤太郎として登場する作曲家古賀政男と歌手藤山一郎。

 

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  古賀政男         藤山一郎

 

 

 

古賀政男は元来は作曲家ではなく社員としてコロムビアに入社し、その後作曲家に転身しました。ドラマの中にもありますが、古関裕而と古賀政男は、入社したての若い頃は、よく互いに夢などを語り合ったそうです。

そしてドラマでも歌われましたが、古賀政男は「影を慕いて」「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」などのヒット曲を立て続けに放ち、流行歌の作曲家として、ゆるぎない地位を確立したのは、皆さんご承知の通りです。。

 

藤山一郎は本名を増永丈夫といい、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の声楽科在学中から、家計を助けるためにアルバイトでレコードの吹き込みをすることに。しかし当時、アルバイトは禁止されていたため、変名を使って隠れてしていましたが、「酒は涙か溜息か」と「丘を越えて」が大ヒットとなったため、正体がばれてしまいます。

「酒は涙か溜息か」のレコードは昭和6年9月発売で、この2か月前、藤山一郎は「平右衛門(へいねも)」という古関裕而作品をレコーディングしています。これは北原白秋のざれ歌のような詩に作曲した歌で、北原白秋は大いに気に入り、山田耕筰も褒めたという曲ですが、残念ながらヒットという訳には行きませんでした。

アルバイトはバレましたが、なんとか退学はまぬがれ、藤山一郎は最優秀の成績で卒業し、クラシックを歌うときは本名で活動していました。その後、流行歌の世界から退くつもりでしたが、終戦時インドネシアで捕虜となり抑留されているとき、歌を通じてイギリス兵などと交流し、歌の持つ力を改めて認識し、流行歌の世界にとどまる気になったそうです。

藤山一郎は後に「私が流行歌の世界に戻ったのは、服部良一さんと古関裕而さんがいたからだ」と語っています。

(九)

 

2020/05/19   KITASAN