BLOG

『エール』 VS 本当の話―10 再び山田耕筰

『エール』 VS 本当の話―10 再び山田耕筰

 

山田耕筰との係わりについて、続きです。

 

山田耕筰と共にー昭和12年頃.JPG

昭和12年頃。中央、山田耕筰。右端、古関裕而。その左、宮田ハーモニカ・バンドの宮田東峰。

 

山田耕筰夫妻.JPG

晩年の山田耕筰ご夫妻。(昭和35年頃)

 

写真ですが、昭和12年頃の写真は、何か先生のお祝いで集まったときの写真のようです。晩年の山田耕筰ご夫妻の写真は父の撮影のようです。

 

『エール』での志村けん演じる小山田耕三は謎の存在となっています。志村けんさんの出番がいつ迄あり、志村けん亡き後、どうするのか気になるところではあります。

 

実際の山田耕筰と父との係わりは、以前にも書きましたが、師弟という関係でした。

父は福島商業在学中から山田耕筰に傾倒し、ほぼ全ての市販されている楽譜を集め、全部そらんじていました。山田耕筰著の「作曲法」で作曲の勉強をし、川俣時代は自作の曲を送って、指導を仰いでいました。

山田耕筰は見も知らぬ田舎の素人の作品を丁寧に見て、批評してくれたそうです。

 

山田耕筰が父を日本コロムビアに推薦して入社させた経緯については、声楽家で、山田耕筰研究で博士号を取られた藍川由美女史が、興味深い見解を「生誕100年記念 国民的作曲家古関裕而全集」(日本コロムビア刊。永らく絶版でしたが、最近増刷され再刊されています)の解説本に寄稿していますので、ご興味があればご覧ください。また拙書「君はるか」(集英社より発売中)においても藍川説を下敷きにしております。

『エール』では謎めかしている小山田耕三の役割はいずれ明らかになるでしょうが、どのように描くのか興味津々です。

 

そして前にも書きましたが、藤山一郎に歌わせた北原白秋詩の「平右衛門(へいねも)」を憧れの山田耕筰に褒められたときは、嬉しくて涙がこぼれたと父は言っています。

しかしその後は、弟子として先生のお弟子さんなどの集まりなどには定期的に顔を出していましたが、それ以上の深い係わりは無かったようです。

ですので、ヒット曲を量産し、有名になってからは『エール』においても、小山田耕三(志村けん)の出番は無いのかも知れません。

 

(九)

 

2020/05/24   KITASAN