今日(6月2日)の『エール』では、「船頭可愛や」が誕生し、レコードが発売となりましがまたも売れず、裕一はクビ寸前。契約金の返済もせまられそうで、どうなる裕一?!
とまあこれは、視聴者の興味を引き付ける筋立て。
ここらあたりがフィクションの、フィクションたる所以でしょう。
(以下ネタバレを含みます)
実際の「船頭可愛や」は古関裕而の最初の大ヒット曲となります。
歌ったのは下駄屋の娘ではなくおかみさんの音丸(と言っても履物屋さんの娘さんだったそうですので、間違いでもないです)。音丸という名前は、当時芸者で歌手の方がブームになっていて、それに乗っかって芸者らしい名前を芸名したとのことです。由来はレコードは音が出る丸い盤だからとのこと。発売は1935(昭和10)年6月です。
このヒットは裕而にとって勿論嬉しいことでしたが、もっと嬉しいことがおきます。
その年の秋に日本に帰国した世界的プリマドンナ三浦環が「船頭可愛や」を気に入って、自ら歌ってコロムビアからレコード(クラッシック専門の青盤)で出したのです。
『エール』では双浦環がこの歌を気に入ってレコードにすることによりヒット、という展開になるようです。音丸ならぬ藤丸さんには気の毒ですね。
元々はクラシックの作曲家を目指していた古関裕而にとって、三浦環に自分の曲が認められたということはとっても嬉しいことでした。
そして裕而は「月のバルカローラ」という歌曲を書いて三浦環に捧げ、この曲も三浦環がレコーディングしています。
「月のバルカローラ」は多分『エール』には登場しないと思います(本当のオペラ歌手でないとまず歌いこなせない)。
この歌は古関裕而が自ら編んだ「作曲生活50周年記念 古関裕而大全集」(1980年、日本コロムビア)の目玉として収録することになりましたが、楽譜はあるものの歌詞が分からず、八方手を尽くしてオリジナルのSPを探し出しましたが、あるはずの歌詞カードがなく、仕方なく歌詞を聞きとろうとしましたが、これまた三浦環のベルカント唱法による日本語は聞き取りにくく、三浦環さんのお弟子さんたちの協力を得て何とか歌詞を復元させたとのことです。
そして古関裕而の指名で斉藤昌子さんに歌って頂きました。斉藤さんの素晴らしい歌唱は「生誕100年記念 古関裕而全集」(2009年 日本コロムビア。現在発売中)にも収められています。
また音丸さん(本名 永井満津子)のお墓は品川、青物横丁の天妙国寺にあり、墓石の横に小さな「船頭可愛や」の歌碑があります。
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